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​店 長 の 挨 拶

一度きりだから。楽しみ、味わう人生を。

こんにちは!GOING-Nの店長の西窪 修です。

このサイト『Going-N』を見つけて下さり、そしてこのページまでお読みくださいまして、本当にありがとうございます!

 

この文章を書いている現在、私は50代。人生も、おそらく半分以上を余裕で過ぎているでしょう。

若い人たちには容姿でも体力でも感覚でも絶対かないません(笑)。

しかし、50を超えた今だからできる楽しみ方があるのではないかと思っています。

そして今だからこそできることがきっとあります。

そんな想いで『Going-N』は出発しました。

 

少し・・・いや、かなーり長いのですが(苦笑)、私の自己紹介を書いてみました。お時間が許せばお読みくださいね。
お時間のない方は、長~い文章はスルーして最初のプロフィールだけでも読んで頂けると幸いです。


とにかく、こうして訪問していただけたこと、そしてご縁に心から深く感謝です!

- - - -  店長のプロフィール   - - - -

Going-N カスタムバイク 店長

西窪 修(ニシクボ オサム)

 

昭和39年7月28日生

 

奈良県桜井市出身・宇陀市在住

 

座右の銘:継続は力なり

(ちなみにオートバイの座右の銘は『基本は土の上にある』です)

少の頃からとにかく2輪、3輪? が大好きで、朝、目が覚めるといち早く三輪車にまたがり、
せっせと近隣を徘徊してる間に、三輪車のステム辺りが金属疲労なのかちぎれてしまい、
前タイヤだけを引きずり帰宅してから、早 50年
近くになります。

 

結局、3輪車 2台 、 自転車  7台を乗り継ぐことになるのですが・・・。
自転車では、峠下り、自動車教習所での無断(!)耐久レースや、土曜日の午後からのトライアル大会(骨折者が出てからは中止)など、
数々の運営?をして来ました。

この様な小学生になったのは、幼馴染みである友人の影響が多大であり、成長とともに私たちは当たり前の様に興味はオートバイに

移行して行くのでした。

 

以後、頭の中は、単車、単車、女、単車・・・の順番でいつも巡っております。

 

10代の頃は、野山を駆け巡り、モトクロスにのめり込みました。
当時住んでいた家の和室6畳の部屋には、冬の寒さにも負けず整備ができるようにと
勝手にコンパネを敷いて作業場にしておりました。
あげくの果てには、2階の自分の部屋にまで80のモトクロッサーを一人で担いで持って上がり、
親はさぞかし驚いた・・・、いや、落胆したことでしょう。

土の滑りやすい路面の上で、タイヤスライドを覚えたのはこの頃だったと思います。
(今ではすっかり忘れていますが)自論ですが、やっぱりタイヤスライドを覚えるには、遅い速度で、そして土の上が1番だと思います。

ですから、座右の銘は「基本は土の上にある」です。
。。。偉そうですね( 笑)

 

10代後半、当時友人の勤めるバイクショップの社長(故人)  の影響(洗脳!?)もあり鈴鹿への通いが始まるのであります。

当時、8耐も始まり、続いてアマチュアの祭典4耐へと80年代初め頃からは空前のバイクブーム。
正に、サーキット全盛期、雑誌の記事もサーキット入門などの特集記事が本当に沢山ありました。
そんな煽りもあって、友人皆でサーキットに繰り出し、当然、そこそこ慣れて来ると次は、レース参加となる訳で・・・・。

バイクブーム全盛期、当時のレース進行といったら、もう。。。
一体予選は何グループあるの?
今日中に終わるの??

・・・の世界でした。

 

でも忘れられないのが、鈴鹿のスポーツ走行の予約の電話がつながらないので、

予約を取るためだけに仕事を休みサーキットに足を運んだ事でしょうか。
今では考えられない事ですね 。
本当に当時は敷居が高かった!

そしてとても熱かった!!

 

当時、私はガス配管工事会社に勤めており、バブル期の入り口あたりだったのか非常に忙しく
今の時代では想像できないほどの残業をしていたこともあり、整備の時間が殆ど取れずに大変だった思い出があります。
そんな忙しい会社でしたからレースウイークと言えども有給休暇などもらえるはずも無く、勝手に休み(無断休暇)をもらっておりまして・・・。

今から考えると、人手不足でクビにも出来なかったのでしょうね(苦笑)

 

この頃は、一旦消滅しかけていた2ストロークにヤマハが「RZ」と言う起爆材を投入したのがキッカケで
あれよあれよと言ってるうちにY,H戦争なるものが始まりました。、
街中でも当たり前にタバコのスポンサーが入ったフルカウルのバイクが走り、峠では『ローリング禁止』の標識が見られるようになったのもこの頃ですね。
時代の流れとは恐ろしいもので、現在はもうタバコメーカーもスポンサーを降り、タバコを吸う事自体が、肩身の狭い立場にされてしまってますね。

 

レースの話に戻りますね。
上り調子で、『ここで入賞したら上に上がれるかも!』という場面もありました。

 

1985年、11月 SP400 予選2位、決勝 転倒リタイヤ

1986年、4時間耐久レース 予選 2サイクル   トップ、総合10位、決勝  マシントラブルで28位

 

その場面で結果を出せるか出せないか、普段通りの走りが出来るか。

やはりメンタルと運はとても大事なものだと思いました。
 

この辺りで、なかなか結果が出せないのと、レース活動での多額の借金もあり、

気持ちが折れてしまい一旦サーキットからは卒業となりました。

 

ロードレースをやめてからも、数年の間にTZR250(3MA)、DT200WRと乗り継ぐようになります。
 

DTでは、名阪スポーツランドも近い事から、ヤマハ主催オフロードコンテストの草レースにも多数参加しました。
このレースも各販売店からのオフロードファンの参加でかなりの台数が集まり大盛況でした。
この頃には私も結婚し、子持ちとなっておりました。

そしてこの後、ついに、前から憧れていた2ストロークの最高峰、RZV500Rを手に入れる事が出来ました!
さすがに、500ともなるとトルクも太く、下でもそこそこ走り、 ピストンリードバルブとクランクケースリードバルブ癒合のエンジン、
背後から4本マフラーの白煙!
正に、よくぞ作ってくれたなヤマハ様! と言いたくなる一台です。

 

今までの概念を破ったアメリカンライディングのケニー ・ロバーツと愛弟子のエディー・ ローソン。
私がRZV500Rに乗った時の気分は、
まぎれもなくこの2人のどちらかでした。笑 

 

この時期、一般道での走りにストレスを感じるようになっていた頃ぐらいでしょうか、
昔のレース仲間より知らせがあり、『今の自分たちでも気軽に参加できるノーマル400のレースが出来た!』との事。
待ってましたと飛び付くがごとく、十数年ぶりに再び鈴鹿通いが始まりました。

以前とは違い、今の自分には家族があるので、さすがにアクセルの開け方にも節度が備わったのか転倒の回数も減りました。
今となっては笑い話ですが、20歳の頃には、走る度に転倒してマシンのオーナー様には多大なご迷惑をお掛けしました(冷汗)。

 

びサーキットに戻る事が叶い感じた事は、ヤッパリここは「聖地」
スタートラインから伊勢湾を望む景色は本当に最高です!

また、若い頃よりも知識も豊富になり、考えながら走る事が出来ました。


この時には、ヤマハのFZ400に乗ってましたが、排ガス規制で以前のFZ400Rよりもカタログデータで6psダウンと何とも悲しい現実です。
しかし、その反面、フレームとタイヤの進化を感じて楽しい走りが出来たのでした。

 

この頃には、息子達とモトクロス遊びにもはまりました。
『長男、次男、どちらかが大会に出たらいいなぁ~』なんて思っておりましたが、

時は流れ、いつの間にか兄は野球、弟はバイクでは無く自転車の方に進んで行き、
自転車の購入費用と練習、全日本の遠征費の為にバイクは自転車に化けたのでした。
次男は現在、プロバイクトライアルライダーとなり、継続している事が何よりありがたい限りです。

 

年齢も40歳を超えた頃、以前から気になっていたトライアルへの挑戦となるわけですが、
それがなかなか、家族も増え、仕事も忙しい為に、たいして乗る時間も取れず、あわただしく時間が過ぎて行く日々を過ごしていました。

 

んな50代を目前にしたある日、突然頭の中から言葉が無くなる症状。
脳内出血を発症してしまいました。
何の前触れも無く、、、
本当にまいりました。

 

幸い気付くのが早く、早急に搬送してもらったため、直ぐに出血は止まりましたが、脳内出血疼痛という後遺症はいまだ残っております。
発病後間もない頃は言葉も上手く喋れず、字も書けなくなり、右手では小さな物をつかむ事もままならない時の事を思い出すと
今はかなり回復したのだと思います。
その後、仕事への復帰も果たしましたが、事故でもう片方の足にも大怪我を負いました。

 

病気や事故を経て、それでも助かった、助けてもらった命。
 

沢山の方にお世話になりました。
沢山の方の優しさをいただきました。
思いやり溢れる、そして力強い励ましを本当に沢山、沢山いただきました。

 

痛みは残っているけど手足は動く。
そして命がある。

 

今は、もう一度与えられた第2の人生だと思っています。
 

そしてこの残りの人生は本当に好きな事をして生きたい、心から楽しめる人生にしたい!

そんな風に思うようになりました。

 

あと何年働けるかはわかりませんが、2ストロークのオートバイと寄り添いながら、ぼちぼちとやって行こうと思っております。
どうか暖かい目で見てやってください。

これから、バイクを通じて、皆様と素晴らしいご縁ができますことを楽しみにしています!
そして仲間と楽しいことを見つけていけることにワクワクしています!

一緒に楽しい人生を過ごしましょう!


長文にお付き合い下さいましてありがとうございました。


2016年5月 Going-N 西窪 修

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